ナイフの缶詰

心は少年、身は中年。常に好奇心を持ち、全てのものに感謝しながら、気づいた事を書いていきたい。

ゴッホとゴーギャン展  行ってきました。

www.g-g2016.com


『ゴッホとゴーギャン展』 上野・東京都美術館で開催中【TBS】

 

会社休んで、平日に行ってきました

全然予習しないで行ったけど、すごく楽しかった。

ゴッホって、小さいころから親の手を煩わせてばかりで、勉強もろくにできない親戚のところで働かせても全然役に立たない人だったんだってさ。今でいう多動かな?

で、絵をかいて心を落ち着かせるんだけど、見たものを忠実に書くのが彼のスタイル。弟のテオに生活を面倒見てもらいながら、南フランスで創作活動にはいる。

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これも展示してあったけど、素晴らしかったですよ。晩年のうねったような作品もいいけど、このころの心穏やかなゴッホの絵も本当に素敵です。

 

一方ゴーギャンはデフォルメして自分の心情を絵にすることこそが大切と思っている。

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絵の真ん中に書かれている女性、実は博物館で見たミイラだそうです。見たものを忠実には書かないし、そんなことに意味はないと思っている。

 

ただ、現実的なのはゴーギャン。ビジネスマンとしても成功したこともあり、いわゆる常識人。そんな彼をゴッホはラブコールで南フランスへ迎え入れ、二人の共同生活が始まった。

知らなかったんだけど、有名なひまわりの連作ありますよね。あれってゴッホがゴーギャンを迎え入れるために部屋に飾ろうと描いたものだそうです。つまりあのひまわりはゴッホにとってゴーギャンそのもの。そんな思いのこもったひまわりだったそうです。

知らなかった

 

料理をやらせると、ぐちゃぐちゃにしてしまう少年のようなゴッホと、父親役でしっかり者のゴーギャン。役割分担をして生活を始めたのですが、だんだん口論も多くなり、ゴッホの精神状態もおかしくなってくる。そして、最後はカミソリでゴーギャンに切りつけようと考えるが、それもできず、自分の耳を切り落とし、なじみの娼婦に渡すのだそうです。

ここでふと思ったんだけど、なじみの娼婦っていったいなんでしょう。

今でいうところのセフレなのかな?娼婦っていうくらいだからお金は毎回渡していたのかな?終わっても朝まで一緒にいたのかな?少し気になります。

この時代、独身男性は性欲のはけ口をこういうところに求めるしかなかったのでしょう

対するゴーギャンがどうしていたのかはよくわかりません。一緒に見に行った友達は「ゴーギャンはボーイズラブだったんじゃないの?」って語っていましたが、そうかもしれませんね。

 

何もしていない時、何をしているのか?その6 スワップインとスワップアウト

コンピュータでは、忙しくなると「スワップアウト」という処理を行います。プログラムの一部を全部ハードディスクに吐き出してメモリを確保しようという考え方です。吐き出すのがスワップアウト、もう一度戻すのがスワップイン。これを高速に繰り返すとCPUの使用率が、ガーーンと跳ね上がるのです。スワップアウトだけだったらいいのですが、すぐに引き戻されるという手続きが煩雑になる。でもメモリの空きがないからやらないといけない。無駄な作業を延々と繰り返す事になります。

人間はコンピュータと違って、本来は複数の仕事をできるようになってません。1つの事だけに専念していればいいのだけど、あれこれ悩みだすと、無理をして複数の処理を同時にこなそうとする。
ご飯を食べながら、明日の事で思い悩み、歩きながら昨日の話を思い出して反省する。

比較的簡単な動作と重たい動作を同時にこなそうとするが、何かやっているようで、集中できていないので、スワップインとアウトを繰り返す。知らないうちに脳の稼働率が上がったまま降りてこない。

悩むの事態が悪いわけではない。
ながら悩みは、ながらスマホと同じく危険なのかもしれないし
悩むのであれば時間を取ってしっかり悩んだ方がいいのかもしれない。

つづく

何もしていない時、何をしているのか? その5 ストレスについて

処理しきれないほどの問題が降ってくるとコンピュータだって動作できなくなります
CPUは何もしない時は、何もしない命令を実行していると書きました。
では、Windowsが起動して、誰も使っていない時は何もしていないのでしょうか?
っていうとそんな事ないですよね。ウイルスチェックしたり、スクリーンセーバー動かしたり、時計の時刻を変更するのもCPUの役目です。誰かがマウスをチョンってつつけばマウスのポインターの絵の位置をずらさないといけないし、ログイン画面も出さないといけない。やる事はいっぱいあります。ちょうど人間の小脳みたいなものですね。ここ止まったら、死にますから、人間は。
こういう基本的な操作が仮にCPUの30%を使っているとすると残りの70%を使ってブラウザを開いたり、メールを書いたりしているわけですね。
では70%を使い切るとどうなるか?

30%はなるべく取っておくように頑張るのですが、だんだんと遅くなってきます。
生命維持に使う分が食いつぶされる事があります。
こういう状態をコンピュータでは「ハングアップ」もしくは簡単に「ハング」って言いますが、さらにおかしい状態になると「クラッシュ」につながります。

コンピュータの事であれば、いやだなあ、しょうがないなあ、再起動でなんとかなるかなあ、買い換えるかなあ、それともクリーンインストールしてみようかなあって、考えがちですが、これが人間だとどうなりますかね?

コンピュータはクラッシュしても再起動が簡単にできるし、ハードウェアの障害でなければそのまま稼働を開始します。でも、人はそうはならない。一度壊れると、とても時間がかかるし、死んじゃうかもしれない。そう考えると、ストレスって本当に怖いのだなあって今更ながら思いました。

じゃあ、どうやって脳の稼働率を下げてあげればいいのか?
次回はコンピュータの例をヒトに当てはめて考えてみたいと思います。

ナイフ@最近更新サボりがち〜

 

何もしていないとき、何をしているのか? その4

今回は人間の脳について

僕は長い間、体の不調を「ストレス」の所為にするのは、違うんじゃないかと思っていた。本来は原因が他にあるにも関わらず、これを見つけきれない医者が気休めというか言い訳で使う言葉が「ストレスかもしれませんね」だと捉えていました。

でも、脳の稼働率が高い状態が続くと、体に悪そうという事は容易に想像できるし、こういう状態が続く事を「ストレス」と置き換えて考えてもいいと改めて思った。100に貼り付けば生命維持に必要な30%から切り崩して持ってくるかもしれない。

恋愛や失恋でも人によっては精神疾患と同じ状況になる場合もあるし、逆に悩みも少なく平安な日々を過ごしている人は脳の稼働率が普段は高くないのだろう。さらには複数の悩みが頭の中でこんがらがっている場合もあるだろう。1つ1つは大したことのない負荷でも積み重なることで結果として高負荷になる場合もあるだろう。

思い悩むこと自体が問題ではないけど、解のない問題が、堂々巡りしている状態は好ましくない。これらの鎖を断ち切らない限り稼働率は下がらないのですから。

 

最近読んだ本に書いてあったのですが、アメリカの心療内科では薬を処方するケースが減少しているそうです。理由は投与したケースと投与しなかったケースで長期にわたり観察した結果、完治にかかる期間に大きな差がないことが分かってきたからだそうです。

 

「よく眠れません」とか「動悸が激しくて」に対して薬を処方するのが正しいとは限らないという事なのでしょう。眠る事で、ある程度脳を休める事にはなるのでしょうが、根本を絶たないと意味がないのでしょう。

 

つづく

 

何もしていないとき、何をしているのか? その3

コンピュータの世界では「デットロック」という問題がある、

・Aを処理するためにBが必要なのでAをキープしてBの空きを待つ

・Bを処理するためにAが必要なのでBをキープしてAの空きを待つ

二人の子供が互いに、「はさみ」と「のり」を占有し貸しっこできない状態。これでは先に進まないし何も作れない。こういうのをデットロックという。お互いがお互いのリソースを求め合い先に進まない。堂々巡りに似ていますよね。

 ではデットロックが起きたとき、コンピューターはどうするのだろうか?

こういう問題の時、どうするべきか?というのはコンピューターにとっては、割と高度な問題になる。のりをもっているA君とはさみをもっているB君どっちも悪くはない。悪いのはリソースを競合させてしまった「せんせい」にある。かといってほったらかしておいても、にらみ合いは続く。人間の世界であれば30分もすれば均衡は崩れ、どちらかが根負けすることになるが、残念ながらコンピュータの世界に根負けという言葉はない。ひたすら相手のリソースが空くのをにらみ続けることになる。一昔前のコンピューターでは「せんせい」にあたる仕組みが仲裁に入る。でもいちいち仲裁に入ると色々な問題が出てくるという別の問題もあります。

Windowsではこの問題を解決するために、今までとは全く違う方法が用いられた。Windowsではにらみ合いが起きると、そのうちの1人をえこひいきする。せんせいは出てこない。代わりに年長者にものすごい権力を与えて、ほかの人が握っている「のり」を取り上げる力を一瞬だけ分け与えるのです。こうして力の均衡をあえて崩すことで、デッドロックを回避しているのです。では人間はどうやって堂々巡りを回避すればいいのだろうか?

つづく